天国からの手紙
その2
帰りは、佐多岬の駐車場が、やたら空いて入ると思いながら帰ると、発券売り場から、車は、ストップ!バスがピストン輸送をしている。
もう少し遅れていたら、私達も、乗る羽目になっていた。でもバイクは関係なし、「こんなときバイクはいいね-」と話しながら、佐多街道(正しくは国道269)を、桜島に向けて走った。
佐多岬の駐車場にて
桜島の展望台は、車でごった返して、バイクはほとんど見なかった。桜島は、最近爆発することも少なくなった。早々に、桜島を後にし帰途につく。
桜島を背にして
直毅君が亡くなって、10年が経ち。最初の一年は、信じられなくて、悲しみ、嘆くばかり、その上、いろんな事を恨んだそうです。
運転していた方(亡くなられた)、カーブした道路『どうして曲がっているのか』 ぶつかった橋の欄干『どうしてこんな所にあるのか』乗っていた車『欠陥車じゃないのか』など、今では、考えれれないようなことがあったそうです。
今は、そんな事はもうないそうですが。バイクや部屋はそのままにしているそうです。
それより驚いたことは、亡くなってから、直毅君の友達や先輩が、墓参りや年忌に来られるのはもとより、彼女が出来たと紹介してくれたり、同窓会に誘ってくれたり、挙句の果てには、結婚式に招待された上、来賓の挨拶までしたそうです。
まるで直毅君の、代りをしている見たいに・・・・・・・。
本当に素晴らしい出会いと、経験をさせてもらっていると、直毅君に感謝していると言うことでした。
もし亡くなっていなかったらこんなことは、なかったでしょうと。22歳と短かったけど、一番いいところを、最高の生き方をしたので、これで良かったのではなかろうかと。親として何もしてやれなく、何も理解できなかったけど、いろいろの事を、考えられさせられ、教えられたそうです。
直毅君のことは、ライフスタイルの一部として、ずーと思い続けて行かれるそうです。
友達や先輩はもとより、直毅君がかかわったすべての人、物そして場所と関わり合って行きたいそうです。
直毅君が、走りまわった北海道にも、バイクは無理でも四輪駆動車で、走ってみられるそうです。
こうして、プラグポイントに来られたのも、何か強い因縁を感じます。もしあの前日、切手を貼って出していたら、私は、読んで夏まで、待ち・・・・「ああ-来なかったんだ-」とただ思っただけでしょう。
これだけで終わっていたでしょう。
こうして、素晴らしい人にめぐり合えた事を、直毅君に感謝しなければなりません。
こんな素晴らしい親子ってあるでしょうか?
本当に、いまでも生きている。確実に生きている。
それは、お父さんの心の中に、お母さんの中に、お兄さんの中に、先輩の中に、友達の中に、プラグポイントに、そして私の中に・・・・・・・・ずーと永久に。
同じ年頃の子を持つ親として、本当に考えさせられる有意義な一日でした。
野村さんも「いい供養が出来ました」とおっしゃって下さいまして、ほっとしました。来ていただいて良かった。この次は、私が静岡に行くことを約束しました。
5月3日は建国祭で、お祝いまで頂きありがとうございました。
あとがき
何度読んでも、その時の光景が目に浮かび、涙がこぼれてきます。
野村さん・・・まだ、 直毅君の墓参りに伺えてなくて、すみません。近々、必ず伺います。
それまで、元気でいてください。
(2013年1月記)
後記
長い間、「バイク王国プラグポイント創世の記録」を、読んでいただきありがとうございました。
これからも、ライダーや地域と共にやってゆく所存です。
皆さんのご来国をお待ちしています。
ライダー以外の方でも、ご利用できますので、ご連絡ください。
引き続き、新しいシリーズを連載していきたいと思っています。
乞うご期待ください。
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