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鹿児島県鹿屋市上祓川町山寺鉱泉内にあるライダーハウス・バイク王国「プラグポイント」は2025.05.05に移転リニューアルしました。南九州のツーリングの拠点として、ご利用ください。

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ようこそ、プラグポイントに。 移転リニューアルしました。 設備も充実、快適に過ごせます。

2013年01月07日

バイク王国・プラグポイントの創世の記録・・・2

昨日、引き続いて、掲載します。いよいよ、プラグポイントの誕生です。
お楽しみください。
初めての方は、1より読んでください。

ライダーハウスを作ろう!

 鹿児島に来て、少しの間は都会の雑踏から解放されて田舎気分を味わっていたが、何か心寂しい。       
友達もいないし、言葉もわからない。落ち込む毎日だった。

以前、雑誌で北海道にライダーを泊める民宿みたいなものがあったことを思いだし、これは行って見るしかないと、’88年の8月末から9月にかけて、北海道のライダーハウス巡りを始めた。 
小樽から時計周りに色々見て回った。動かなくなったバスで作ったもの、使わなくなった倉庫を利用したもの、 集会用のテントまであった。
あるところは食堂あったり、あるいは喫茶店、銭湯まであり、さまざまであった。

 北海道にないものを作ろう!スタッフを雑誌で募集したところ、近くの高校生4人(宇留島、川崎、大簿、宮原君)が名乗り出てくれた。
幸いにも、おばーちゃんの家があった。もう10年以上も人が住んでいない。最初は行ったときは、荒れ放題。猫、ネズミ、ゴキブリ達の遊び場になっていた。俗に言う猫屋敷である。
その家は、築50年以上経っていると思われるが、柱がしっかりしている分だけ大丈夫だ。
なんとなく田舎の家という感じで落ち着くことができる。

 家具はそのままである。必要なものと不必要なものを分け、とりあえずすべての家具を外に出し、水で家の中を洗い流す。10年間のほこりが一気に流れ出る。
それから数週間乾かし、次に障子張りをする。昔の家なので数が多く、毎日せっせ1枚づつ貼っていく。
家の回りや家具を片付け、畳を入れ替え終わったときには、すでに3ヶ月が経っていた。

’89年の正月、やっとその家は住めるようになった。いよいよライダーハウスの誕生である。

バイク王国・プラグポイントの創世の記録・・・2
 
DT200Rにてレースに参戦している国王


名前の由来 

 何とか形はできたものの、名前がない。依然勤めていた会社のバイク大好き人間で、Z2に乗っている塩塚君に依頼し、ライダーハウスの名称を「プラグポイント」に、さらにマークを決めてもらった。 
プラグポイントのプラグは、バイクの心臓であり、一発の火花からエンジンが回り、走ることができる。プラグがなければエンジンもかからないし、走ることもできないというわけで、元気よく火花を散らしていくようにと。 
 ポイントは、位置とか場所という意味で、こんな南の果てだけれど、ここから日本中、世界中にライダーの輪ができれば……と、付けてくれた名前である。バイク王国は、ライダーハウスだけでなく、もっと広く、大きな活動をするということで名付けた。

バイク王国・プラグポイントの創世の記録・・・2

天国からの手紙

 着々と準備が進んでいた11月のこと。静岡の野村亘さんから一通の封書が届いた。
何やら、手紙が同封してある。それは、北海道の帯広からプラグポイントの手紙で、差出人は野村直毅君。
どうやらお兄さんが送ってくれたようだ。そのお兄さんが書いたメモを読んで驚いた。
直毅君は北海道の大学に入りバイクライフを楽しんでいたが、ある日、友達の車に同乗していて事故に遭い、他界したというのだ。
事故の連絡を受けたお兄さんが、直毅君の部屋に駆けつけると、机の上にこの手紙があったらしい。 いくら他界した弟の手紙といえ、開封することもできず、プラグポイント宛に送られてきたものであった。

 さっそく直毅君からの手紙を開けてみると、「スタッフとして応援したいので、夏になったらプラグポイントへ行きたい」という内容のものであった。
彼は亡くなる前日の土曜日に書き、日曜日は郵便局が開いていなく切手が貼れないので、月曜日に出そうとしていたのだと思われる。
まさしく天国からの手紙だ。読んでいくうちに、思わず涙がこぼれそうになる。「これは絶対に開国しなければ。天国から応援してくれる直毅君に申し訳ない」・…開国に向けていっそう力を入れていった。

 一年ほど経って、お兄さんが直毅君の位牌を持ってプラグポイントを訪ねてくれたとき、こんな話をしてくれた。 
実は、直毅君は大学にも行かずバイクで北海道を走り回っていたらしく、真面目なお兄さんには、弟の気持ちが理解できなかったけど、見知らぬライダーから、たくさんの手紙や墓参りを受けたという。
「弟は、短かったけれど、いかに多くの友をもち、素晴らしい人生を送ったか、よくわかった。」と話してくれた。
「直毅君の遺志を継がなければ・・・」 と、心で誓った。


開国に向けて・・・・・・

 年が明け、’89年の正月を迎えた。開国を5月3日と決め、バイク雑誌に案内を出してもらうように、各編集部に原稿を送る。
また、バイク王国のパスポートの作成準備を始める。パスポートは、バイク王国の国民であるという証明で、本物そっくりに作った。

バイク王国・プラグポイントの創世の記録・・・2

ライダーハウスの間取りは、入り口を入るとまず、取調べをされるような机と椅子がある。ここで入国審査を受ける。
左に物置があり、その奥に炊事場と冷蔵庫2台。右側は4畳半と6畳の部屋がある。
4畳半の部屋にはテレビ、6畳の部屋には囲炉裏がある。その囲炉裏はいまでも現役だ。
その奥に4畳半の奥の間(女性専門)納屋、トイレがある。
全部屋畳敷きで、テレビ、冷蔵庫、洗濯機など、生活道具はすべてそろっている。

3月になり、ライダーハウスが完成。これで受入体制OKと思っていた矢先、いきなり旅人が。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「あれ?まだPRもしていないのに。どうして知ったの?」 と聞くと「バイク雑誌に載っていた」とのこと。
4月発売号に載せる予定が1号早く載ってしまったようだ。めでたく第1号は鈴川君であった。
ところが同じ日にもう一人ライダーが到着。何とか受け入れるが、パスポートもないし、金額も決めていない。どうしよう。
「いくらですか」の質問に、「300円です」と答えてしまった。温泉代250円とハウス代50円である。
その日は記念すべき第1号という事もあって、夜遅くまで話が弾む。
そうしているうちに毎日2~3人のライダー達がやって来て、楽しくにぎやかになる。

パスポートも出来上がったので、応援してくれた人たちを招いて、建国際を5月3日に行った。
色々なメーカーさん、バイク屋さん、高校生の諸君、親父さん、近所のおばさん、・……。  

 「皆さん本当にありがとう」という気持ちでついに建国。 

                              
バイク王国・プラグポイントの創世の記録・・・2
  
第1号になった鈴川君です。



・・・・と言う訳で、初期のライダーハウス バイク王国・プラグポイントが開国しました。

今日はここまでです。

次回は、プラグポイントで起こった色々な出来事を載せていきます。

お楽しみに・・・・。


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